宗教について 〜 人の生と死を考える 注89

公開: 2023年3月31日

更新: 2023年3月31日

注89. 産業革命

17世紀にイギリスで始まった、経済の産業化による社会改革を産業革命と呼びます。この革命は、中世の封建社会では、土地を所有していた貴族や王が富を独占していたのに対して、産業革命後の近代社会では、工場を建て、生産機械を買い、材料を購入して、労働者を雇い、製品を生産する資本家が大きな富を得るようになりました。土地(領土)には限りがありますが、資本家が所有する資本(工場、機械、材料、労働力など)には、限界がほとんどないため、資本主義国家の社会では、多くの人々が富を得て、豊かになりました。

産業革命は、社会の資本主義化を前提としていました。それは、私有財産の国家による保護、市場における自由な製品の売買、質の良い労働力の自由な労働市場を通した購入、などが保証される社会が前提です。イギリスの社会には、早くからその条件が整っており、経験主義思想に基づいて、科学技術が発展し始めていたため、繊維産業から産業革命が起こりました。それは、植民地であったインドやアメリカ大陸で育てられた綿花を輸入し、その綿花から綿糸を紡ぎ、その綿糸から綿布を生産し、それを国外に輸出するという産業形態でした。

そのような産業を育成するためには、動力を生み出す蒸気機関の開発、紡績機の開発、さらに高速な綿花、綿糸、綿布の輸送のための鉄道や船舶(蒸気船)なとの開発が必要でした。さらに、ジョン・ロックが提唱した「労働価値」説や、アダム・スミスが述べた「分業」などの、新しい考え方を必要としていました。これらが全て整っていたのが、イギリスの社会だったのです。その後、フランス、ドイツ、米国、そして19世紀の日本で、産業革命が起こりました。特に、ドイツの産業革命では、ガソリン・エンジンや化学の知識を応用した製品の開発が進みました。

イギリスで始まった産業革命の初期においては、それまでの社会で、綿糸を生産したり、綿布を生産していた職人達は、機械を利用した未熟練労働者の分業による大量生産方式の導入に反対し、「ラダイト運動」と呼ばれる、機械打ちこわし運動が展開されました。しかし、その運動も、時とともに下火になり、社会全体は、産業化社会に変化しました。19世紀の中頃から、ドイツに少し遅れて、産業革命が始まった米国の社会では、分業が進み、大規模な工場で、多くの労働者を雇用し、大量に製品を生産する生産方式が定着しました。その典型が、ウィンチェスター社のライフル銃、タイメックス社の腕時計、フォード社によるT型フォードの大量生産でした。

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